初めての親子留学を終えて(中)
(前の記事より続き)
私はフィジー親子留学にランデブーフィジーというエージェントを選んだ。
フィジー 親子留学 と検索すると何社かwebサイトがでてくる。
私は2社に問い合わせメールを送っていた。
なぜ、ランデブーフィジーを選んだのか、と聞かれると「返信が丁寧で、私の細かな質問に比較的早く回答してくれた」ことが大きな理由になる。
値段はだいたいどこも似たようなもので、それは大きな差にならない。
でも初めて行く国、初めて親子で留学、には疑問や不安はつきものだろうし、それをいち早く払拭してくれたのがランデブーフィジーだった。
フィジーの首都はスバだが、その次に大きな街がナンディ。
そのナンディタウンから車で30分ほど離れた場所、ウディワイの村にあるランデブーフィジーのEnglish school。
目の前は南太平洋が広がり、在学中に大きな鯨をみることができたほど美しい環境。
そのラウンジに入ると、日本人の生徒が数人朝のコーヒーを飲んでいた。
私の他に10人ほどの生徒がいて、年齢は20〜70歳と幅広い。彼らの大半はschoolの敷地内にあるコテージで生活をしていた。
朝の光がまぶしい。
この時の気温で23度くらいだろうか。
心地よく、過ごしやすい。
覚えた英語で言えば comfortable。
担任の先生とおぼしき、フィジー人のサラに呼ばれて1人面接形式のテストを受ける。
「英語で自己紹介をしてください」と英語で言われ、緊張しながら名前と年齢、職業、家族構成、好きなこと、好きなものを話した。
こう言えば聞こえはいいかもしれない。
でも実際の会話は
「I'm Keiko. 37 years old.
I'm a photographer. I have a husband and a daughter. I love sweets. My hobby is photograph.」
と中学生でも言えることを言っただけ。
あとはとてもナーバスになっているんだ、とアピールした。
そのあと、クラスは2の方だからね、と彼女から言われるがままclass2の教室に入ると私の他に女性4人の生徒。
そこにひときわ目立ったのが、70歳の留学生だった。
ちなみに私の母は73歳で、海外旅行は大好きだけど決して英語は話さない。
海外でサービスを受けてお礼を言うのも「ありがとうございます」と頑なに日本語をしゃべる。
thank youくらい言えるでしょう?と思うのだが、言わない。我が家の七不思議の一つである。
その母と似た年齢の女性が留学しているだなんて、なんて素晴らしい行動力なんだろう、と思った。
と、同時に力強い勇気をもらった気がした。
年齢など関係がなく、人生の全てが自分の決断で成り立っている、そしてそれは人生の終わりまで続く。
37歳で留学することを一瞬でも躊躇ったことが恥ずかしくなるくらい、彼女の生き方に私は圧倒された。
迷ってる暇なんかないんだよ、そう教えられた。
初めての授業は、自己紹介や週末の話をみんなでしゃべりあった。
私の英語は自他共に認めるnot good Englishであるのだけれど、
"下手であっても喋ることを怖いと思わない"
ところが良いところであるとも感じている。
話さなければ通じることもないけれど、下手でも伝えようとすれば"数打ち当たる"のように理解してもらえることが多くなるからだ。
そもそも、文法が全く理解できてないので、留学中に初めて「wasは動詞である」ことを知った。
そんな私が初日の授業を終えて
「なにこれめちゃくちゃ楽しい」
と思えたのも、担任のサラや、クラスメイトたちに恵まれたからに他ならない。
もちろん自分で学びたいと思っているからこそ楽しめたのもある。
中学の時に嫌だと思ったあの気持ちはなんだったのか、こんなに英語って楽しいじゃん!
14時に授業が終わり、私はその足でナンディタウンへ出た。
ナンディの街を日本に例えるならどこと言えばいいだろう。
街をぐるりと一周するなら30分もかからない。
大阪の天神橋筋商店街の方がよっぽど大きい、東京でいうなら調布駅周辺くらいだろうか。
それがフィジーの2番目の都市である。
ただ、ナンディを離発着するバスの多さは舐めてはいけない。
電車がないフィジーではバスとタクシーが重要な交通手段。
ちなみにタクシーはほとんどが日本のお古。
日本語を見て懐かしむことができる。
どこに防犯カメラが?!と突っ込みたかったが、それはやめておいた。
英語でなんて言えばいいかわからないし。
ナンディタウンでひとしきり買い物を済ませ、さてとホストファミリーの家に帰ろう、と思った時に気がついた。
どのバスに乗って、どこで降りればいいんだろう…
この日、フィジーに来て3日目で何度もホストファミリーの家を出入りしていたからなんとなく道はわかっていた。
つもりだった。
日本はバスに乗れば次の停車駅のアナウンスや電光掲示板もある、バス停だってちゃんと用意されている。
しかし
フィジーのバスは、タクシーと似た感覚で、乗りたいところで手を上げればバスが止まり、降りたいところでベルを鳴らせばバスが止まる。
バス停というものはなく、もちろん電光掲示板もない。行き先のみが表示されているだけだ。
こいつは困ったぞ。
私はとりあえずホストファミリーの家がある地名(日本でいうと町名かな?)にいくバスを探した。
フィジーの人はとても優しいしフレンドリーなので、聞けば必ず答えてくれる。
その日ももちろん、「あのバスだよ!」と教えてもらえたのでそのバスに乗った。
しかし
どこで降りたらいいのかがわからない。
混み合った車内、隣に座ってきたフィジーの高校生らしき男の子に
「私はホストファミリーの家に帰りたい、しかしその地名しかわからない。その地名を知っていたら、そこが近づいてきたら教えてくれる?」
と頼んだ。もちろん破茶滅茶な英語で。
すると彼は、やや緊張した面持ちで
「もちろんいいよ」と答えてくれた。
そりゃそうだろう。
イメージしてほしい。
どう見ても中国人にしか見えない(私の顔が)日本人が必死の形相で単語を並べるだけの英語で
「ねぇ!こんにちは!あのね、私、地名がどこかわかんないの!ホームステイだから!留学生なの!その地名知ってる?あ、知ってる?!じゃお願い!お願いだからその地名近づいてきたらさ、教えてくんない?」
って、まくしたてるところを。
びっくりして顔がこわばるのも無理はない。
私は安堵して、これで帰れる!と思った。
バスに揺られること15分。
あ、ここ昨日も通ったな、という見たことのある景色をやり過ごして、隣の男の子が教えてくれたところでベルを鳴らし、私は日本語でいうなら「めっちゃ助かった!ありがとう、ちょーありがとう!」というテンションでお礼を言ってバスを降りた。
しかし
あれ。ここ、どこ?
完全にホストファミリーの家の近くではないことだけはわかった。
確かに見たことがある景色だと思ったのだが、だが違う。ここじゃない。
仕方ないのでバスが走り去った方向へ向かって歩き出す。
ただひたすら。
私の横をたくさんの車が時速80kmでびゅんびゅん通り過ぎる。
15分ほど歩いて、行けども行けどもホストファミリーの家にたどり着く目印の路地にたどり着かないことが不安になり、降りたところから反対方向に行くべきだったのかもしれない…と思った私は来た道を引き返す。
歩くこと25分。
バスを降りたところよりもタウン方向へ10分歩いた。
しかし橋が見えてきて、その橋は確実にホストファミリーの家とタウンの間にあることを知っていた私は、やはり間違いだったと、さらに引き返す。
最初にUターンしたところよりも先に進むが、日がかなり落ちてきて、心細くなった私は近くの人に尋ねてみた。
「マロロというところに薄いピンクの家があるはずなんだけどどこかわかりますか?」
するとその女性は
「マロロ?!マロロはずっとあっちのほうだよ!この道じゃないよ!」
と全然違う方を指差して言うではないか。
絶対にこの道のどこかだ、と確信していた私の何かが崩れ落ちていきそうだった。
途端に張っていた気持ちの線が切れそうになり、不安が一気に押し寄せてくる。
迷子だ…
そう、私はフィジーに来て3日目に迷子になった。
迷子は英語で、I'm lost.
自分を失う。まさにその通り、私は失っていた。
全ての原因は私のiPhoneがネットワークに繋がっていないことにあった。
フィジーに来てからWi-Fiを購入しようと思っていたためその時はまだインターネットにつながっていなかったのだ。
だから、地図も見れない、ただ文鎮化した役立たずのiPhoneしかなかった。
あっちのほうだよ、と言われてもこの道のどこかだという自分の記憶を信じ、先へと進む。
さっきも見たところだ、ここじゃないんだよな…
自分ではわからないけれど、きっと私の顔は半泣きだったに違いない。
見渡す限りのサトウキビ畑。
夕日が美しかった。
「邦人女性、迷子の末に野犬に噛まれ死亡」ってYahoo!ニュースにでちゃうのかな…
そんな気持ちでまさに途方に暮れていたそんな時。
一台の車が私の横に止まった。
助手席の窓が開いて運転していた男性が
「どうしたの?」と声をかけてきた。
フィジーの人はフレンドリー。
だけど、1人の時に声をかけてくるような人には注意をするように、とガイドにも書いてあった。
私は「野犬に噛まれ死亡 VS 優しそうな男性に賭ける」のバトルの末、
「迷子です。ホストファミリーの家に帰れない」と彼に言った。
すると、彼は電話番号わからないの?と言うので、私のiPhoneは文鎮化してて使い物にならないんだよ…とiPhoneを見せると、ボクの携帯からかけてあげるから!とりあえず乗って!といってきた。
海外でどこの馬の骨ともわからぬ男性の車に乗ることが、どんだけリスクがあるかは知っているし、本来であれば200%乗らないけれど、この時ばかりは1時間も迷子になった上、日が沈みかけていることが私の背中を押して、助手席に浅く腰掛けることにした。
深く座らなかったのは、私がまだ彼が本当にgentlemanがどうかを疑っていたからに他ならない。
彼は手早く電話をかけ、ホストマザーから住所を聞いたのか車を走らせた。
なぜ住所を聞いたのかわからなかったのかというと、彼はインド人であり、また私のホストマザーもインド人で、お互いヒンディー語で話をしていたから理解できなかった。
私が不安そうにしていると思ったのか彼は
「大丈夫だから、家わかったからね」
と何度もなんども言ってくれた。
ホストファミリーの家が見えてきて、
ああ、ここ!ここ!ここです!!
と叫んだあと、彼に「ありがとう」を繰り返した。
25回くらいありがとうを言ったと思う。
そして私は今までの不安と感謝でボロボロと涙を流し、彼は笑顔で走り去っていった。完璧な紳士だった。
家に向かって庭を歩くと、中からホストマザーがでてきた。
続いて3姉妹も出てきた。
私は大声で泣いた。
ホストマザーは私を抱きしめて「恵子、泣かないで」と繰り返した。
本当にいい経験をしたな。
私は自分にそう言い聞かせて
「I'm home.」
と言って家に入った。
(つづく)
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